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事前資料、伊藤聡先生の2003年の論文「三宝院流の偽書-特に『石室』を巡って-」を参照。真言宗小野流の一流である、三宝院流の密教は、日蓮聖人が受容した密教の一つの核になる。
密教の伝授・相承は師から弟子へ、木の枝が分かれていくように、現代から見るとゴチャゴチャになっている。しかし中世の人々はどの枝が傍系で、どこが太い幹なのかを見極めており、その中でも三宝院流は注目すべき一流である。
真言密教の系譜は小野流は聖宝(小野流)、益信(広沢流)の2派別れる。聖宝は空海の弟子真雅について16歳で出家し、元慶8年(884)東寺の源仁から伝法灌頂を受け、東密小野流開祖、のちに修験道中興の祖、東山派の祖と仰がれた。小野流はさらに後年、三宝院・理性院・金剛王院の醍醐三流に分かれるが、師資の伝授は師弟の間でなされるので、客観的な証明は難しい。しかし、その正統性は法流全体で時を経た上で是認される必要があった。
三宝院流は突出して『遍口抄』『石室』『纂元面授』などの多くの説話性の高い偽書が生成されたが、3書は「須秘口決事」に影響を受け、教学的な考察が盛んであったともいえる。偽書や立川流の異端を指摘することで自己の正統性を主張するという面もある。
三宝院流は院政期から鎌倉時代に偽書・偽文書が果たした役割が大きかった。偽書・偽文書によって発展した流派はいかがわしいもので、真正な文書によって立たない宗教はいかがわしい、という発想になるのが現代人の考え方になるが、それを受容した中世と現代とでは「真実としての語り」と「事実としての歴史」とのバランスが異なる。
質疑も含めて約2時間30分ありがとうございました。(担当スタップ)

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