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通算45回目となる菅野先生の第5講(2月28日))の講座は、オンラインにて行われました。
今回は、「広の開三顕一」について十義をもって料簡するうちの、第七義となる「得記・不得記を明かす」の段の最後となる「問う、若し小は大を悟らば~」462頁後ろから2行目からです。この問いに「この二乗(声聞)も寿量品を聴けば、菩薩と同じく法身の記べつを得る」と答えて、第八義「悟りに浅深あるを明かす」の段に入ります。
この第八から最後の第十までは、平井俊英氏の研究によれば吉蔵の『法華玄論』 にその該当箇所はないとのことです。第八~十は以下の通りです。
第八 悟りに浅深あるを明かす⇒ 覚りの程度に明暗あって、最初に法説を聞いて仏慧に入り、あらためて譬説を聞く。さらに、因縁[説]を聞いて、覚りが道理として自然と増進する。あらためて[如来寿量品]を聞いて、覚りがいよいよ広く深くなる。
第九 権実の得益不同を明かす⇒ 実は、外相と内実が一致していることをいい、その立場に基づく行為を実行という。本地を隠して、衆生救済のために仮りに現われた姿を権というのに対して、外相・内実ともに一致している凡夫のこと。
第十 待時・不待時をあかす。⇒『法華経』を待って悟る者を待時といい、『法華経』の前に悟る者を不待時という。

次に「雑料簡」として、①請説を料簡す、②三周を三世と名づくるを料簡す、③五濁大乗を障うるを料簡す、④知・不知を料簡す、⑤縁覚を料簡す、を講義されて終了しました(473頁まで)。
次回の3月28日の第6回(通算46回)講義は、テキスト474頁の最初「初周の法説の文を五と為す」からです。(スタッフ)

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