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2021年7月20日(火)午後6時30分より、菊地先生の講座【歴史から考える日本仏教⑦】〈日蓮をはぐくんだ房総地域の歴史と宗教を考える〉第4講「日蓮の活動と房総地域」が行われました。引き続き緊急事態宣言発令中のため、これまでと同じくzoomによるリモート講義となり、受講者はそれぞれオンラインにて受講しました。

第4講となる本講では、日蓮を育んだ房総地域の様々な面に着目しつつ、宗教環境のみならず、政治的、経済的な影響も視野に入れつつ、ご講義いただきました。以下、内容について要点を絞りご紹介致します。

 

古東京湾を通じた中世の交通事情、鎌倉政治史と密接な関係にあった房総地域、そしてその地理的、政治的、経済的環境を踏まえた上で、日蓮がどのように活動したのかについて

はじめに

中世に入り、陸路だけでなく、古東京湾内海の交通の発達が房総地域に与えた影響、さらには海路の発達及び鎌倉幕府成立により、これまで以上に政治的な影響を受けるようになった房総地域、さらにその房総で生まれ、活動した日蓮における、房総地域の特色について確認していきたいと、述べられました。

1 古東京湾内海の交通

 

中世水上交通の重要性が指摘されて以来、中世太平洋交通の実態が明らかになり、鎌倉から東西に航路が形成され、それを受けて経済的にも活発な活動があったことをご教示いただいた。その中で、特に伊勢(神宮)と関東の深いつながりから、房総に「御厨」が多く成立していたこと、さらには熊野信仰も流入していたという事実から、これまで陸路では支線上にあった房総地域が南関東の中でも重要な位置づけとなったことをご示唆いただいた。

さらに交通網の発達は、その地を治める武士の地位にも関係するようになり、三浦半島を治め、大きな勢力を持っていた三浦氏が北条氏に討たれるという宝治合戦の遠因ともなったことを詳細な資料と共に示された。

これは北条氏が三浦半島から安房・上総に勢力を持っていた三浦氏から海上交通を含む軍事・経済的利益を奪取したという事件であり、単なる政治的な対立ではないことを示していた。

 

2 求聞持法の聖地と清澄山・称名寺金沢文庫

慈覚大師円仁は関東に縁の深い僧侶であったが、その円仁が「求聞持法」を修行した地が房総にあり、その一つが日蓮が修学した清澄寺であったことから、古代まで一種の宗教的空白域であった安房に天台宗の一大拠点が成立していたこと、さらにはその「求聞持法」が、日蓮が修行したとされる「虚空蔵菩薩の籠行」と関連付けられるのではないかという指摘をされた。

その上で、弘安期の清澄山の住僧、寂澄が海を挟んだ金沢文庫に多くの聖教を残していることから、海上交通を用いた、両寺院の深いつながりを示された。特に鎌倉文庫に真言の文献が多く残っていること、その中に「求聞持法」に関するものも多く残されている所から日蓮もまた、早くから天台のみならず東密に触れる機会があった可能性を示唆された。

 

3 日蓮を支えた房総地域

そうした日蓮を支えた檀越の中でも千葉氏の被官であった富木・太田・曽谷氏などは、日蓮滅後もその教団を房総地域で支え、一大勢力の形成に大きな影響を与えていた。その事例として中山を例に詳細にご教示いただいた。中山には古くから若宮八幡宮とその神宮寺があり、天台系の宗教施設も点在していたことから、日蓮とその弟子を受け入れる宗教的環境が既にあったことが、中山を拠点とする日蓮教団の成立に寄与していたこと、さらには中山法華経寺の成立にも関係していたことを『中山法華経寺文書』を中心にご講義いただいた。全くのゼロから教化が行われたのではなく、そもそも日蓮を受け入れるだけの下地があったこと、さらに富木氏が文官であったことから、文書の保管、継承にも通じていたことが、今の法華経寺に伝わる多くの日蓮遺文の格護につながっているという示唆は、聴講者一同、非常に興味深いものであった。

その上で菊池先生は、「法華経行者値難事」の構造に着目し、これまでの翻刻が古文書学的に問題を孕んでいること、本書が本文と追申、追々申から構成されていることに着目し、いかに日蓮が房総地域の檀越を意識していたか、頼りにしていたかを示された。主に翻刻、活字化されたものを用いてこれまで考察がなされていたことから、慣れ親しんでいる日蓮遺文であっても新たな視点を与えることで、今まで見えてこなかった実態が明らかにされたことに、聴講者からは驚嘆の声も上がっていた。

 

最後に菊池先生は、鎌倉を中心とした同心円の中で陸路、海路共に緊密な関係であった房総地域の持つ特異性、さらにはその特異性と日蓮の宗学、布教活動の関係について端的に示された。房総地域に存在した地縁的なネットワークこそが日蓮在世、滅後の教団に与えた影響について、広い視野からご教示くださった。と同時に、佐渡流罪赦免語、日蓮が既に成立していたネットワーク内ではなく、身延山へと赴かれたのかという新たな疑問も提示してくださった。

 

今回も多くの資料をご用意いただき、一つ一つ丁寧に分かりやすく解説してくださいました。資料を細部まで読み解き、これまで各門下で慣れ親しんでいたはずの日蓮像の新たな一面をご教示頂いたことに、受講者一同目から鱗が落ちる思いで聴講しました。

次回は8月17日(火)18時30分~第5講「室町戦国時代の房総地域」です。引き続きオンライン講義の予定です。多くの方の聴講をお待ちしております。(スタッフ)

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