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さる10月24日(土)午後4時半より、末木文美士先生による「仏教哲学再考―『八宗綱要』を手掛かりに」第一回講義がオンライン実況により開催されました。本年より京都より東京に戻られて、あらたに「未来哲学研究所」も創設された末木先生ですが、ここで仏教哲学の全体を見直す作業にとりかかるため、仏教の全体図となる『八宗綱要』をテキストとして本講義を開講することとなりました。

講義では始めに進め方を説明されて、テキストを細く説明するではなくそれを基にしながらその哲学を学んでいくことが主眼となる、と述べられました。

その第一回目は「プロローグ」として位置づけられて、レジュメでは下記の章立てで進められました。

  • 凝然と『八宗綱要』

2、八宗論の枠組み

3、中世前期仏教の形成と凝然の位置づけ

4、序章

5、今後の講義予定

 

1~2で、「凝然」と『八宗綱要』の概容が説明されて、3でその時代背景が考察されています。凝然(1240~1321)は29歳の時に『八宗綱要』を書き、晩年には『三国仏法伝通縁起』という仏教史書を書いています。『三国仏法伝通縁起』では、中国仏教十三宗と日本の八宗、最後に禅宗と浄土宗について略述されています。

八宗は、南都六宗に平安期の天台・真言の二宗を加えたもので、「宗」といっても「教団」ではなく、「宗」は理論・実践の組織的体系のことであり、いまの学派や学部に当たります。ですから一つの寺が多宗を兼ねるのは普通であり、院政期頃から貞慶の『興福寺奏状』などでも、王法・仏法相依論による八宗体制が強調されていました。その後に諸宗論争が起こって、浄土宗と禅宗が入っての十宗になるのは、13世紀後半から14世紀前半の事となり、凝然の生涯と重なります。その間には、日蓮『八宗違目鈔』(1276)、頼瑜『諸宗教理同異釈』(1276)、虎関師錬『元亨釈書』(1322)などが書かれています。

3の「中世前期仏教の形成と凝然の位置づけ」では、この時期の仏教をとらえるには、運動面と思想面の両方が必要として、先ず運動面としては平家の南都焼討(1181)の後に盛り上がった「仏教復興運動」をあげます。

その東大寺大仏再建に象徴される戦乱後の新秩序をつくる仏教再興の機運は、あらゆるところから沸き上がったので、新仏教とされる栄西や法然もこの運動に密接に関係して、積極的な貢献を果たしています。ですから末木先生は、「新仏教(異端派)vs旧仏教(顕密仏教)という対立は全くのフィクションであり、この時代は仏教界が全体として「復興」」に向けて巨大なエネルギーを傾注していたと見るべき、と明確に新たな中世仏教観を提示されました。

そしてこの時期の仏教界の様相としては、中心に貴顕出身の官僧が中心的な核となり、周辺に山岳修行など積んだ自由な僧が広がって活躍する、という重層的構造だったといいます。こうした新出資料による新たな見方としての鎌倉仏教の展開は、〇第一期・形成期⇒12世紀後半、〇第二期・深化期⇒13世紀前半、〇第三期・総合期⇒13世紀後半、になると説明されました。日蓮聖人の活躍は、第三期にあたります。

この事前説明を終えてから、『八宗綱要』の序章を読んでいきました。序章では、「1、仏教の法門」でその概容が説明され、「2、仏教の歴史」でインド・中国そして日本で八宗になるまでの歴史が辿られました。次回から、いよいよ「第一章 倶舎宗」から読み始めます。

今後の講義予定としては、一回の講義で1宗ずつ(第二章成実宗を除く)を採り上げていく方針とのことです。なお受講に際しては、事前に『八宗綱要』の講義の章を読んでおくことをお勧めします。次回は12月5日にオンライン実況で講義をお届けします。日時の都合が悪い方でも、講義後に「動画配信」で受講できますので、ぜひ受講をお申込みください。  (スタッフ)

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