講座「『法華経』『法華文句』講義」第25回講座報告

講座「『法華経』『法華文句』講義」第25回講座報告
2020年6月26日 commons

6月26日に予定されていた対面講義も、コロナ・ウィルス禍のために開催ができずに、第25回も講義動画の配信を受けての受講となりました。菅野先生は、7月4~5日に全オンラインリモート会議システムで開催された第71回日本印度学仏教学学会学術大会の実行委員長という忙しい立場にあって、リモート技術にも熟達なされたようです。今回はZoomのコメント機能を使って、レジュメ画面に書き込みをしながらでの御講義を頂きました。
講義では、今回勉強する全体的の位置づけを見るため、まず目次のあとの『法華文句』科文(Ⅰ)を見て、先月は「天龍八部衆」の最後の「迦楼羅」を終えて、今回は220頁7行目の「人」の「韋提希」から始まることを確認しました。韋提希(ヴァイデーヒー)は、マガダ国王の鬢婆娑羅(ビンビサーラ)王の妃で、阿闍世(アジャセ)の母です。阿闍世は、別名を「未生怨」「婆留支」「無指」といわれ、好意的には「善見」と呼ばれます。レジュメでは、古沢平作と小此木啓吾によって論じられた「阿闍世コンプレックス」について詳しく取り上げて、韋提希と阿闍世の複雑な母子関係を解き明かしました。
次に科文に「問答料簡」といわれる箇所になります。まず「なぜ人の名前が少ないのか?」の問いに「略して載せなかっただけで、無量義経には多くの人を列している」と答えます。次に「聴衆に地獄の者と無色界の神々がいないのは何故か?」という問いが出されて、「この義、今まさに弁ずべし」として、「六道輪廻の浮き沈みは戒を持つか破るかによっており、また仏を見れるか見られないかは、乗(教えを聴くこと)に緩(ゆるく怠慢)と急(ひたすら熱心)があるから」として、詳しくこの問いに答えていきます。
「緩・急」については「戒」にもこれが有るとして、乗と戒と緩・急を組み合わせて、「乗戒倶急(乗も戒も急)」、「戒緩・乗急(戒は緩く、乗は急に)」、「戒急・乗緩(戒は急に、乗は緩く)、「乗戒俱緩(乗も戒も共にも戒も緩く)」という四句となります。本文ではこの四句について詳しい説明が続き、レジュメにはその四句の説明がまとめられています。この問答の説明の後、「「各礼仏足」とは、総じて衆集(聴衆の集合)を結ぶなり」と述べて、「通序(すべての経典に共通する序)」が終わります。そしていよいよ「爾時世尊。四衆囲繞。供養供敬。尊重讃歎~」よりこの章の最後までとなる「別序(その経典独自の始まりを告げる序)」に入っていきます。
「別序」の文章は、「衆集」「現瑞」「疑念」「発問」「答問」の五つの序に分かれます。そしてその五序のそれぞれに、法華経の一乗思想の唯一性を明かにする四つの視点(人=修行者、理=真理、行=修行、教=教法)が配当されます。これを「四一を叙す」といって、衆集には「人一」、現瑞には「理一」、疑念には「行一」、問答には「教一」が叙せられて、これを因縁釈とします。釈としては他に、約教釈・本迹釈・勧心釈での説明が続きます。
経文では「四衆囲繞」とあって、四衆は通常は比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷ですが、これを「今、一衆に訳して、更に開いて四となす」として、次のように四衆を定義し直します。①発起衆―聴衆を集めて、瑞相を生じさせ、問答を起こさせるもの。②当機衆―聴衆のなかで説法を聴いて、その場で理解し利益を得るもの。③影向衆―釈尊の教化を讃歎・扶助するため、法身の菩薩が「影」や「響き」のように現れたもの。④結縁衆―現世で仏を見聞するも、四悉檀の利益がなく、ただ未来の因縁となるだけのもの。この新たな四衆の分類に、通常の四衆を重ね合わせるので、合わせて十六の分類が得られて、これを「円教の十六衆」といいます。
また「囲繞」とは、色界の第四禅にあたる清浄な浄居天(無煩天・無熱天・善現天・善見天・色究竟天)の天が人の像をとって仏を繞り敬礼するのを人が手本として、仏を敬う所作であり威儀となります。レジュメには「天界二十八天」を挙げて、無色界の境地である「四無色定」と対比してあります。この囲繞についても、本文では因縁・約教・観心・本迹の四釈があり、それを説明されてから講義を終わられました。菅野先生には、充実した御講義を頂き有難うございました。
次回の7月は、『法華文句(Ⅰ)』230頁の最後の行で「供養とは~」から始まります。まだ、対面講義を行う環境が整いませんので、7月も講義動画の配信での講義となります。講義動画は一か月有効の配信ですので、皆さま、動画で復習のうえ次回の受講をどうぞ宜しくお願いいたします。(スタッフ)