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3月19日18時30分より、「日本史のなかの「顕密」―近世近代を視野にいれてー」と題して菊地先生による講義が開催されました。今回の御講義は最終回でしたので、これまでの講義の流れをもう一度振り返ってみました。

はじめに、密教は呪術的であったため顕教と違って当初は受け入れがたいものであったが、時代が経過する中で、各流派によって様々な儀礼が定着し、次第に浸透していく様になった。顕教と密教はそれぞれ独自の優位性はあるが、しかしそれらが次第に融合していく過程をたどっていった。8世紀頃に、空海により密教 (金胎不二) を基調とした思想が日本に伝えられ、10世紀には皇慶によって、天台密教 (理知冥合の世界観)を顕在化させていった。更に「理智」の世界観に「事」を加えた、「理知事」三点の思想へと展開していく。さらに皇慶の台密谷流や東密醍醐三流(三宝院・金剛王院・理性院流)といった流派による秘密潅頂や、禅宗の円爾による顕密禅の統合など、発展的な台密の流派を形成していく過程を見ていきました。

 

本講義第6講では、近世近代からを視野にいれて、顕密一体の世界観が二項対立を統合していくことで得られることを論じて、それぞれの時代的背景によっての考え方や特徴を検討しました。そして顕教と密教が一体化していく過程の中で、鎌倉新仏教の祖師達は《究極の一点(専修・選択)》を探りながらもそこで終わらずに、更にその先に進んで全仏教を統合的に理解しようとしていました。しかし鎌倉後期には、こうした「一つの仏教」を目指した教学的動向が解体されていくという背景があり、本講義ではそうした部分を探っていく事を今回のテーマとされました。

以下レジュメを参照しながら概略を説明します。

 

1、その後の「顕密」―室町時代への展望―  (1)

(1)「 〈一つの仏教〉の終焉」 

 ここでは顕密禅の統合化の一例を、『夢中問答集』の第十五問答を引いて説明しています。『夢中問答集』は、真言宗には衆生済度の加持門があるが禅宗にはないという非難に禅宗の立場から答えた仮想問答ですが、真言密教と禅宗の間に横たわる差異を無化しています。しかし、こうした顕密禅の「三教一致」による〈一つの仏教〉を目指していた聖一派(円爾)も、鎌倉末期の能信の時代には教理的に分裂していったとのことです。

『夢中問答集』の内容ですが、禅宗の方は密教を上手く捉えつつ、「真言では有相悉地が既に明かされているので、我々禅門の修法によって本分(悟り)に至ることが出来れば、加持祈祷といった特定の儀礼や修法をしなくても、利益は得られるのだから、真言宗からの批判には当たらない」としています。

また、夢想がここで批判している、「密宗の奥旨をも知り給わぬ事相真言師」について、「密教儀礼を形ばかり行っている真言師は多くいるが、その内実や本質を理解している真言師はいるのだろうか」との問いについて、「日蓮も真言宗や密教に対して批判を加える際には、『真言師』に対しての批判をされていること」を例に挙げ、「夢想と日蓮の真言師への批判内容には共通点がみられるともいえる」 との説明がありました。

 

(2)「密教の衰退?―拡散する密教諸派」 

鎌倉末期には、〈一つの仏教〉を目指していた顕密仏教の形態が解体されていきます。先にふれたように、聖一派も能信の時代に教理的に分裂します。これまで色々な仏教を、一つの仏教としてまとめていく求心力が衰えはじめ、分裂・拡散していく方向に変化していきました。室町期には醍醐寺から伝授の拠点が拡散していった例を挙げられ、醍醐寺三宝院では、求心力が途絶えないために、関東地方などに出向いて伝授を行うなど、自門の法流に繋ぎ止めていくなどの対策を講じていく様な動きもみられ、「門流の衰退を防ぐ意図があった、」ことを示されました。

 

(3) 「地方への密教知識の拡散と蓄積」

印融があらわした、「初二三四五キリーク法(通常阿弥陀如来だがここでは観音を図して、理智事を顕す三弁宝珠を配する)」の資料と、その他、「紅玻梨色阿弥陀如来図像」や、三弁宝珠をともなった板碑などを挙げて、各々を比較しての酷似している点や、関連性などについての説明がなされました。

印融の時代の特徴としては、「様々な流派伝授の集大成部分の良いとこ取り」として例えられていました。

その理由の一つとして、鎌倉時代後期までは、〈一つの仏教〉を見出していく事に意識が向けられていたのに対し、印融の時代ではこれまでの灌頂儀礼の伝統に則ったものをあらわすと言うよりは、こうした儀礼方式を、印融自らが独自に選択したものを「統合」するのではなく総合的に受け入れていた、との説明がありました。つまり、宗派を超えて〈一つの仏教〉を真摯に求める姿勢を「学際的」だとすれば、印融の姿勢は「集学的」であり、中世後期の仏教はこの「集学的」な方法をめぐって分裂と一体化を繰り返し、一見総合的でありながら、全体性は見失われていった、ということです。

 

2、日蓮法華宗の自立と 「顕密」

史料 「鎌倉殿中問答記」からわかることとして、日蓮の教説は「四十余年未顕真実」をキーワードとして他の仏教の諸体系を無化して、〈一つの仏教〉論を終わらせたと見ることができるとのことです。しかし、例えば日蓮の場合法華至上主義を宣揚し他宗排斥を主張する際において、教相の中にある爾前経の位置づけをどの様に考えるのかについては、「爾前教をすべて随他意の教え、『四十余年未顕真実』 として退けて無意味の経典として、切り捨てるのではなく、爾前教の持つ価値と役割を与える意味で、経証をする際の方法として採用し、活用していたのではないか、」との説明もありました。

また、本門迹門の優位性について明らかにするとき、二項を対立させ一方を否定し、そして一方を顕していくといった方法 (本迹勝劣論)が、南北朝期以降顕著になっていった例を挙げられました。この中世日蓮法華宗における本迹論争は、「顕密」問題を『法華経』解釈に即して再編したものと見ることもできる、とのことです。そして、それを「一致」とみるかどうかはともかく、『顕密』や『本迹』も相互に循環する構造をもっていて、互いにあてはめて理解をしていくことを強調、『法華経』に於いても本門だけでは成り立たない点から、本迹が双方に影響しあい、本迹そのものの個性の持つ意味や役割を理解した上から考えていくべきで、これらをどの様に依用して活かすのかを視野に入れていく事も必要である、と示唆されました。また、中世史社会の中に於いて顕密問題を考えていくには、顕教と密教 (法華経本迹も同様)を個別のものとして考えるのではなく、一体性・総合性を持った観点から互いをみていく事が適切であるとのご教示をいただきました。

そして、中世後期には〈一つの仏教〉論と重なる「一致」的世界が衰退し、南北朝期には日蓮法華の流れも各宗として自立して、次の段階として各宗内では二元論的原理の相克と総体性に関する議論が再生産されていった、と論じられました。

 

そして最後に、本講義における締め括りとしして、全6回の講義を総括して、次のようにまとめられました。

○中世社会における思想史的課題としての「顕密」とは、つねに分裂の契機をはらむ社会の統合という働きがあった。その分裂の契機は10世紀に徐々に深刻化して14世紀後は分裂状態が決定的となる中で、その後にその再編成(「聖なる世界」の縮小に対抗するアジールなどの復権)が進んできた。

○近代社会は合理性の名のもとで、非合理な聖なるもの・呪術的なもの(冥の世界)を「克服」という形で押し込めて見えないようにしてきたが、その冥の世界(死、葬儀、呪術、先祖)が災害と経済不安により再びこの列島社会に現出した。現代の状況とは、近代の合理的社会の分裂であり危機である。

○「顕密」問題の思想的課題とは分裂の「統合」であり、全体性を回復する過程として、私たちはこの課題に真摯に向き合い受け止めていく必要がある。

 

その他、先生から提起のあった、今後の研究課題。

日蓮聖人は、醍醐三流の理性院流の影響を強く受けていた可能性があることをあげられ、理智事三点説を基調とした三重相伝を、誰かからうけていたことを指摘、一定の灌頂伝授を承けている人から観れば、日蓮の曼荼羅本尊の形態の本質を理解していく事が出来る可能性が出てくるなど、更に研究を進める必要があることを示唆されました。

 

6回の講義の聴講を終えての学んだことと、感想。

『顕密問題を考える』 全講義を振り返ると、顕と密は別に区別して論じるのではなく、あくまでも「顕教と密教は、互いに包括して一体として捉えていく事がポイント」であること。そしてこれはまた、五時八教判などの、実教対権経、法華経対爾前教、法華経本門対迹門などの教相内容を対立させ、経典の勝劣や優位性を考える時は、この講義で学んだことを視野に入れ、更にそれに至る経過と、時代的背景を、検討の基礎として、きちんと理解しておく事の大切さを教えて戴きました。私にとっては全く未知のジャンルでしたが、本講義報告を作成するためこれまでの講義もそうでしたが、特に第6講の講義内容は、中でもより多く聞き直し、ようやく最終回の講義報告を作成することにこぎつけました。報告が大変遅れてしまい、申し訳ございませんでした。

 

最後になりますが、本講義は非常に難解な講義内容でした。然し今振り返ってみると、大変有意義な内容だったことは言うまでもありません。菊地先生が本講義に当たり大変お忙しい中、講義当日のぎりぎりまで、膨大な史料に目を通され、レジュメを提供して下さったことに、この場をおかりして、心から感謝申し上げ、お礼の意を表したいと思います。菊池先生、貴重な御講義、本当に有難う御座いました。

報告は以上です。 (スタッフ)

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