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講座「歴史から考える日本仏教② 《顕密問題》を考える」第3回講座報告 – 法華コモンズ

講座「歴史から考える日本仏教② 《顕密問題》を考える」第3回講座報告

講座「歴史から考える日本仏教② 《顕密問題》を考える」第3回講座報告
2018年1月20日 commons

12月18日火曜日18時30分より、「鎌倉時代と顕密仏教・顕密体制」と題して菊地先生による講義が開催されました。以下概略を報告させて頂きます。

先ず始めは前回残ったレジュメ内容を講義戴き、平安中期の天台僧で、「合行灌頂」という形式を創始し、新しい時代の意味での台密の修法を形成していく大事な人物であった、「皇慶(台密谷流)」についての説明をされました。

続いて中世の供養塔として建てられる、板(石)碑についての説明では、石碑に刻まれているキリーク字の上の三つの「◦点」が刻まれている意味について、真言・天台宗では「理(胎蔵)・智(金剛)冥合」として、この2つを統合して「事」と捉える、「理・智・事」三点説の概念を示し、真言の解釈、「理(ア)智(バ)事(ウン)」として、これらが東密三宝院流で発展していく経過や、また瓜の切断面にある種が三つ見られる意味では、宝珠が三つ重なっている姿は「三弁宝珠」とも言い、「宝珠・舎利」と捉え、それが舎利信仰への発展となることや、更に様々な修法へと発展していくという意味を説明されました。

また、最近では「理智事三点説」と日蓮曼荼羅との解釈を併せて考えようとする研究のほか、真言宗での三尊合行法(鎌倉後期)の体相(不動愛染の配置)が、日蓮曼荼羅との酷似している部分との関連性については注意して検討するべき旨を示されました。

第三講の講義内容では、院政期から鎌倉時代(11世紀後半~14世紀前半)の社会と顕密仏教・顕密体制についての説明がありました。今回は、黒田俊雄氏の論考「中世における顕密体制の展開」[黒田 1994] を事前に読んでおく参考文献として配布されており、この論考をめぐってレジュメも書かれていました。その中で菊地先生は、『顕密体制論といっても黒田氏の研究であって、分野や人によっても、イメージするものの幅の大きさや視点によって見方や、捉え方が変わってくる 』として、また中世における顕密体制に関する文書を一度しっかりと読んで下地を整えた上で、理解を深める事の大切さを話されていました。以下レジュメから抜粋して概略申し上げます。

【目次一】「顕密体制の成立-正統派の成立過程」 ここでは密教=鎮魂呪術=密教ではないことに注意する事や、浄土教流行の背景として、鎮魂呪術→真言→念仏という滅罪迫害のための連関があって、念仏流行も密教による仏教統合の一端であったとする黒田氏の説明を紹介。荘園制社会と王法仏法論の関係については、京都の権門勢家といわれる貴族大寺院が、京にいながら地方の荘園社会の支配を行う際に、王法仏法の論理を利用して荘園制社会を維持したこと。これらをまとめるイデオロギ-的な支柱として「本地垂迹説」を発展させていく事例では、高野山が所領に対して入高野明神社を勧請し、それに対する信仰を民衆に植え付けながら荘園経営を行い、そしてこの『「入高野明神社(豊作の神)」のその本地とは仏様であるから、寺院に対して奉仕しなければならない、』とした理念を民衆への意識付としていったこと、などが挙げられています。

【目次三】「仏教革新運動-異端=革新運動の展開」では、鎌倉新仏教論に関わる点について、新旧仏教的な発想を止め、正統派 改革派 異端派の概念を示し、顕密仏教を柱として分析を進めていく事を提唱しました。

【目次四】「中世の神国思想-国家意識と国際感覚」では、「本地垂迹説」が中世社会を形成する上で重要とした問題提起から発展し、中世の神道説が神仏習合の世界の中で神国思想へ発展し、近代の国家神道をみる上で、中世史の分野からも重要な歴史的な前提を提示することが出来る事を示唆しました。

(3)「王法仏法関係をめぐって」についての理解を深める上での参考資料として、「比叡山興福寺奏状」における第九条の「八宗同心訴訟」を例に取り上げて挙げて、八宗が行なった念仏宗への弾圧として延暦寺や興福寺が、専修念仏を禁制する訴訟を起こしても、国家としては八宗同心政策を推進しているために、諸宗の優劣を決めるような宗教的正当性などの判断はしませんでした。しかし専修念仏宗の主張は、「八宗への全否定」で、仏法全体を破壊し滅ぼす存在となるために、国家の王法仏法論の立場では看過できなかった為、専修念仏宗禁制(思想弾圧)へと発展していった、という説明も頂きました。

最後に鎌倉新仏教論(「1890年代」)から顕密体制論について概略説明があり、日蓮仏教を顕密体制にあてはめて考える場合、どのような視点にたって見ていくべきか、これまでの研究も踏まえてさらに検討の必要性がある事をお話しされました。                                       以上 スタッフ