Skip to main content

去る12月28日(木)間宮先生の第三回講義「「如来使の自覚―画期としての佐渡―」が開催されました。前回では「『法華経』を読誦により身体化する(また身体を『法華経』化する)伝統的持経者」の姿を究明し、日蓮聖人はその持経者に連なりながらも「迫害」と「色読」によって、質的に一線を画す「法華経の行者」への自覚を持たれたことを明らかにされました。今回はそのご自覚に続いて、『開目抄』において「我が身法華経の行者にあらざるか」という命がけの問いかけを通して、日蓮聖人が自らの謗法罪を認めることで「再生」し、一念三千の「発見」と共に、如来使の自覚を表明した「三大誓願」を宣言するまでを、詳しく論証していかれました。特に、日蓮聖人にあっては「南無妙法蓮華経」が、すべてが久遠仏と一体化した一念三千の世界を表す象徴として捉えられており、お題目は『法華経』の本質的姿である久遠仏の御心そのものであること、そのお題目を広める「地涌・上行菩薩」の行いを自らがなしているという自覚こそが、釈尊と直結する「如来使」の自覚として結実した、という見方は大きな刺激となりました。
回を重ねるごとに魅力がます御講義ですが、次回は1月25日(木)午後6時より「「超越者」の自覚―身延の日蓮聖人―」です。会場は、日蓮仏教研究所となりますので、お間違いないようにご参集ください。    (編集部)

commons

Author commons

More posts by commons