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平成29年4月24日(月)、菅野博史先生による第13回目の「『法華玄義』講義」が行われました。今回は「迹門の十妙」の「智妙」と「行妙」についての講義でした。
その概略を報告いたします。
「智妙」
智は境=理を認識する心の働きを意味するが、観という仏道修行の実践主体において開示させる世界は、境智冥合の世界であり、境と智を分けられるものではない。しかし、これに分析、反省を加えたとき、かりに所観の境と能観の智とをたて分けることができる。
「智妙」の構成は「総じて諸智を論ず」と「境に対して智を論ず」の2段に大別され、前段の「総じて諸智を論ず」は、①「数」、②「類」、③「相を辨ず」、④「境を照らす」、⑤「麁妙を判ず」、⑥「開麁顕妙」の6項に小別される。また後段の「境に対して智を論ず」は「五境に対す」と「展転して相い照らして境に対す」について説かれている。
前段「総じて諸智を論ず」の、①「数」では、二十智の名称が紹介され、②「類」では、智を二十種に類別する理由が説かれ、③「相を辨ず」では二十智の概念規定がなされ、④「境を照らす」では、二十智が諸境を照らすことが明かされ、⑤「麁妙を判ず」では、相待妙の立場によって二十智の麁妙が判定され、⑥「開麁顕妙」では、絶待妙の立場から諸智が開会され、絶待の智妙が説かれている。
後段の「境に対して智を論ず」の「五境に対す」では、七種の二諦に対しては七種の二智、五種の三諦に対しては五種の三智というように、それぞれ境と智が一対一の対応関係を示すような形で智を明かし、「展転して相い照らして境に対す」では、境の諸分類と智の諸分類とが、理論的にはすべて組み合わされていることが示されている。
「行妙」
行について「行妙」の冒頭に「行は進み趣くという意味であるが、智によらなければ進むことができず、また、その智は境に基づかなければ正しくないこと、それゆえ、智を目となし、行を足となして、智行あわせもって涅槃にたとえられる清涼池に到ることができる」と述べられている。
「行妙」は「通途の増数行」、「約教の増数行」、「五数に約して行妙を明かす」の3段に分けれ、今回は「通途の増数行」、「約教の増数行」までの講義が行われた。
次回は、5月29日(月)18:30より「行妙」の続きからの講義となります。皆さま奮ってご参加ください。
(文責・編集部)
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