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平成29年2月18日(土)、新宿常円寺に於きまして第11回目となる布施義高先生の「日蓮教学史と諸問題」の講義が行われました。今回のテーマは「日蓮遺文解釈と日蓮教学史」ということで、日蓮聖人の御遺文の解釈をめぐる問題をご講義頂きました。
まずは、前回までの流れをまとめ、なぜ日蓮教学史上本迹問題が最重要課題とされてきたのか、という問題を振り返りました。
そこでは、日蓮聖人の宗教的特性をとりあげました。日蓮聖人の宗教的特性とは、教相の浅深勝劣を非常に重視する面と、南無妙法蓮華経の題目を救済法として勧奨する面です。
そうした教相の浅深勝劣論が、対外的には諸宗批判、対内的には日蓮聖人滅後の本迹論争へつな がっていったと見られることを指摘され、それが、御仏の御心、救いがどこにあるのか、ということを究明する為の非常に重要な教理課題と捉えられたということを学びました。また、一念三千の観門を題目に帰結させ、末法における摩訶止観、一念三千の修行として、南無妙法蓮華経の意義を闡明したのが『観心本尊抄』であると学びました。
この前回まで流れを受け、日蓮聖人の遺文解釈に関する問題をとりあげていきました。
ここでは、『開目抄』の「本因本果の法門」や『観心本尊抄』の「四十五字法体段」など、いくつかの御遺文を取り上げて、勝劣派・一致派の各門流、先師の解釈の違いをご指摘頂きました。
殊に、「『開目抄』の寿量品の文の底 」の解釈については深く言及されました。この「寿量品の文の底」のご文章は、日蓮教学史上非常に様々な解釈を生み出した一文であり、「寿量品の文底」の意を、教相(本迹)を超える観心の意と捉えるか、発迹顕本と同意と捉え本迹の勝劣の問題として捉えるかという視点をはじめ、教学史上には、「文上」「文底」に様々な概念が当てはめられ、本迹論とも複雑に絡まりあって様々な解釈がでてきたことを指摘され、今後、更なる検証が望まれる課題であるとご教示いただきました。
次回3月18日は、「日蓮教学史と諸問題」の最終講義となります。「日蓮教学史と天台教学〜中国天台教学と日本天台教学〜」をテーマに日蓮聖人の天台教学観の特徴を学び、日蓮教学史におけ る天台教学の位置づけの問題を論じて下さるそうです。当日は講義終了の打ち上げが予定されています。どうぞ、多くの皆さまのご参加をお待ち申し上げております。(講座担当記)
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