書評のページ

法華コモンズ仏教学林事務局より、ご紹介したい書籍の書評を随時追加してまいります。

『戦後歴史学と日本仏教』オリオン・クラウタウ編 (二〇一六年一一月一〇日刊行) (発行/法藏館)

本書は、敗戦直後から一九七〇年代までの戦後の約三〇年余りの間において、「日本仏教」の歴史像を新たに語り直した一五名の著名な研究者を取り上げ、現在第一線で活躍する一五名の執筆者が、その一人ひとりの生涯と業績について論じた画期的な論考集である。
本書の表紙には、「廃墟の上に立つ仏像」という、長崎原爆投下の六週間後にGHQ兵士が撮った写真を元にして描かれた鉛筆画が載せられている。原爆で吹き飛ばされた街の跡を屈むように見守っている仏像とともに顔を伏せる僧侶が描かれたその絵は、敗戦により焼け崩れた日本にたいして、仏と僧侶が廃墟の死を悲しみ、過去における責任を詑び、また未来における再建を誓っている姿のようにも見える。敗戦後七二年間が過ぎたもかかわらず、この絵が現在でもなお強い印象を与えるのは、原爆で象徴される戦後がいまだ終わっていないからではないか。
敗戦後は、すべての分野において戦争責任が問われて、同時に戦後の枠組みの新たな立ち上げが要請された。編者によれば「日本仏教」においても、その理解の基礎的部分は本書で取り上げられた研究者達によって形作られて、今日にいたっている。本書は、そうした「敗戦の経験から生じた「日本仏教」の歴史像を解明」して、「「戦後」という枠組みにおける「日本仏教」の再構築を考えようとするもの」として編まれ、私たちの前に提示されている。現在の私たちが、あらためて戦後に再構築された「日本仏教」を考え直すというこの試みは、終わらない戦後を終わらせるための営為として重要な一つと私は受け止めている。
はじめに、本書における編者の視座あるいは編集意図について、少し詳しく見ておきたい。編者のオリオン・クラウタウ氏には、近代国家の形成過程で「日本仏教」の概念がどのように作られてきたかを検証した『近代日本思想としての仏教史学』(二〇一二年九月刊行 法藏館)という著書がある。学位請求論文を土台として作られたというこの本において、クラウタウ氏は「仏教」また「日本仏教」という言葉の自明性を疑うことで、鎌倉新仏教が栄えの頂点に置かれて、近世仏教が堕落し衰微の道を歩んだという「日本仏教の物語」が、近代においていかに造られてきたのかを明らかにしている。
その本の「第一部 国民国家と「仏教」をめぐる歴史叙述」では、原坦山、村上専精、高楠順次郎、そして花山信勝と家永三郎の言説を検討しながら、まず官学の東京帝国大学で「仏教」学が生まれ、次に国民国家の形成に寄りそった「日本仏教」論が「聖徳太子→鎌倉仏教」という文脈で語られ、戦後の家永三郎が据えた「鎌倉新仏教中心論」が、実は戦前からの「聖徳太子→鎌倉仏教」の図式から国家仏教の聖徳太子を取って「民衆」に替えただけであることが指摘されている。また「第二部 僧風刷新と「仏教」をめぐる歴史叙述」では明治初期の諸宗道徳会盟から戦後の圭室諦成「葬式仏教」論などの言説まで扱いながら、「近世仏教堕落史観」が廃仏毀釈と維新の激動を乗り切るための仏教側が必要とした見方であり、「鎌倉に還れ」という改革運動に付随したものだったことを明かしている。この著作においては近世を踏まえた明治維新期から戦後の初期までの、「鎌倉新仏教中心」と「近世仏教堕落史観」という二大パラダイムによって特徴づけられる日本仏教史学が述べられている。したがって、『戦後歴史学と日本仏教』と名づけられた本書は、この『近代日本思想として仏教史学』の続編としても位置づけられるもので、戦後から現代までの「仏教史学」を再吟味したものといえるだろう。
著書と編著の違いは大きいが、その共通する視座は、「日本仏教」の常識や自明性また前提となっている言説を疑うことである。編者の序文にも「この「常識」を疑うことは、いわゆる言語論的転回以後の世界において、「日本仏教」の叙述を構想するうえでも必要な作業であろう」とある通り、いまや常識となった(一五名による)戦後歴史学の学知の構造を、編者はあらためて括弧に入れて「疑おう」としている。いや、それのみならずこのテキストに示される戦後歴史学の常識を読者自らが「疑う」ことをも、本書は求めているともいえるだろう。ここで述べられている「言語論的転回以後の世界」とは難しい言い回しだが、おそらく文学者の柄谷行人が『近代日本文学の起源』(一九八〇年 講談社)において述べた「風景の発見」がそれにあたるだろう。編者の視座は、明らかに柄谷のこの批評的視座と重なっていると共に、それを可能にした立ち位置の共通性もうかがえる。
柄谷は、同書において漱石における「文学」概念の危機にふれて、私たちが安易に「漢文学と英文学を比較することは、「文学」=「風景」そのものの歴史性をみないことになる。つまり、「文学」や風景」の出現においてわれわれの認識の布置そのものが変わってしまったことをみのがすことになる。私の考えでは、「「風景」が日本で見出されたのは明治二十年代である」と述べて、その「風景の発見」を可能にしたのは「言文一致」という近代的な制度であったことを指摘している。「風景」はいったん成立すると、その起源は忘れられて、以前からあったもののように扱われるが、しかしそれは初めからあったのではない。同書において柄谷は、「内面」「告白」「病」「児童」という言葉についても、その発見過程を究明していき、日本近代文学の起源におけるその閉ざされた制度性を明らかにしている。
この本のあとがきで、柄谷は「“ありうべき誤解をさけるために一言”いっておきたい。それは、『日本近代文学の起源』というタイトルにおいて、実は、日本・近代・文学といった語、さらにとりわけ起源という語にカッコが附されねばならないということである。」と述べ、自明である日本を外から「日本」として見て、再吟味する批評の立場にあることに注意を促している。この研究が契機となって、日本近代の言説をみなおす言説論という研究が盛んとなるが、これを言語論的転回以後の世界とみてよいのではないか。クラウタウ氏もまた「日本仏教」や「戦後歴史学」を括弧に入れて、その常識となった自明性を疑うという同じ批評的視座にいるといえよう。
また柄谷は文庫版のあとがき「著者から読者へ―ポール・ド・マンのために」の中で、山口昌男が推薦文に「柄谷行人氏の方法は、すべてを根源的に疑ってかかるという現象学のそれにもとづいている」と書いたことに言及し、「私はこの時期「現象学」についてはほとんど知らなかった。しかし、外国にあって、外国語を話し、外国語で考えるということは、大なり小なり「現象学的還元」を強いるものである。つまり、自分自身が暗黙に前提している諸条件を吟味することを強いる。だから、山口氏のいう「現象学」とは、~略~いわば異邦人としてあることなのだと思う。」と述べている。この異邦人性も、「「他者」の言語で初めて「自己」を表現していく物語」である小説『ブタペスト』の主人公に共感した、と『近代日本思想としての仏教史学』の「あとがき」で書いたクラウタウ氏に共通している。つまり、日本仏教の内からではなく、外からだからこそ根源的にその自明性を疑うことできるのであり、その解明も可能となる。
では序文にもどって、編者の見るところの「戦後歴史学」と「日本仏教」の様相について確認しておこう。戦後における仏教史学は、なによりも「「天皇制国家」を支えた仏教に対する批判と反省」があって、そのため「近代日本の仏教者たちによる反体制的な営為を評価し、一方で国家に従属的な思想や運動を「封建的なもの」と厳しく批判するような、いわるる「近代化論」の枠組みに立脚した学問的態度」が、一つの基調をなしたという。
つまり戦後においては、丸山真男が「超国家主義の全体系の基盤たる国体がその絶対性を喪失し、今や初めて自由なる主体となった日本国民にその運命を委ねた日」(「超国家主義の論理と心理」『世界』一九四六年五月号)として八月一五日を無血革命の日としたように、「それまで抑圧の対象であったマルクス主義史学が主流的位置を占めていく一方、かつての皇国史観的な叙述枠は、内在的反省を経ることなく、機械的に廃棄されていった」。そのために、戦前期において「「日本仏教」を本質論的に語っていたような人間の多くが、大日本帝国の解体にともなうイデオロギー転換に臨んで、自ら沈黙を選ばざるを得なかった」という。
皇国史観的な言説が「内在的な反省を経ることなく、機械的に廃棄され」たということは、結局は今にいたるまで克服されていないことを意味する。

西山茂著『近現代日本の法華運動』(二〇一六年七月二〇日刊行) (発行/春秋社)

本書は、西山茂先生が宗教学者としてもっとも力を入れてきた分野である「日蓮主義と法華系在家教団」について、四〇数年間にわたり発表してきた研究論考を、初めて単著としてまとめたものである。この「近現代の法華運動」という研究分野は、西山先生が独自の視座をもって他の追随を許さずに開拓していった領域でもある。
本書の帯に「明治から戦前までの日蓮主義運動の「顕密性」と、主要な法華系在家教団の「内棲宗教性」を克明に描き出すとともに、内棲宗教の自立化についても詳論した画期的な書」とあるのが、まさしく本書の内容を要約しているといえよう。日蓮主義運動の「顕密性」も、また「内棲宗教性」という言葉も、西山茂先生独自の分析的視座であり、独創である。
本書は、十四の論考を五つのテーマに分けて、十四章としている。その全容を俯瞰するために、主要な目次をあげておこう。
Ⅰ日蓮主義と近代天皇制
第一章  近代天皇制と日蓮主義の構造連関―国体をめぐる「顕密」変動
第二章  「賢王」信仰の系譜―国柱会信仰から東亜連盟運動へ
第三章  石原莞爾の日蓮主義
Ⅱ法華系在家教団の成立と変容
第四章  仏立開導・長松清風の周辺体験と思想形成―在家主義の誕生
第五章  本門仏立講の成立と展開
Ⅲ法華系在家教団の展開
第六章  仏教感化救済会の創立者・杉山辰子とその教団―法華系新宗教史研究の「失われた環」の発見
第七章  法音寺開山・鈴木修学とその教団―内棲型「実行の宗教」の軌跡
第八章  戦後における立正佼成会と創価学会の「立正安国」
Ⅳ正当化の危機と内棲教団の自立化
第九章  戦後創価学会運動における「本門戒壇」論の変遷―政治的宗教運動と社会統制
第十章  正当化の危機と教学革新―「正本堂」完成以後の石山教学の場合
第十一章  内棲教団の自立化と宗教様式の革新―「正本堂」完成以後の創価学会の場合
第十二章  冨士大石寺顕正会の誕生―一少数派講中の分派過程
Ⅴ日蓮仏教と法華系新宗教の特徴
第十三章  法華系新宗教への日蓮仏教の影響
第十四章  日蓮仏教と法華系新宗教の現証起信論

実はこの目次に沿った内容の紹介は、本書の「はしがき」において西山先生自らが解題のかたちで過不足なくまとめられている。私が下手な要約や解説をする必要もなく、それを読んでもらったほうがはるかに分かりやすい。そればかりか「はしがき」には「本書を貫いている筆者の視点」についても自ら分析・抽出して、七点にわたり各章に共通する視点が提示されている。この共通の視点とは、とりもなおさず西山先生に固有な研究的視座であり、西山宗教社会学の特徴といって良いだろう。ではその特徴とは何か、要約してその概要を見ていこう。

(本書を貫く共通の視点について)
第一は、各章が「運動」の視点から書かれている。
第二は、調査と資料に基づく「文献実証主義」の方法が取られている。
第三は、各章が実証的な資料に基づきながら「構想力」によって導かれている。
第四は、各章の運動や教団が、どれも「既成宗団と在家教団ないし在家運動の双方に関与」している。
第五は、「内棲宗教性のある教団」が取り上げられている(既成宗団と在家教団の「あいだ」に着目)。
第六は、正当化の危機に晒されやすい「周辺性のもつ思想形成力や教学革新力」への着目。
第七は、「周辺の創造性(理念)」は「正当化の危機(利害状況)」に置かれて発揮されるという視点。
 こうした共通の視点を並べて見てみると、あらためて実践的な宗教社会学者・西山先生その人がこの中から現れてくるように感じる。この七つの視点から見えてくる特徴とは、厳密な「文献実証主義」に基づきながらも、「運動」に着目しての動的な「構想力」によって、中心(既成宗団性=伝統)と周辺(在家教団性=革新)の「あいだ」に生起する事態や思想性の変遷を明らかにしていく研究姿勢である、とまとめることが出来るだろう。こうした構想力をもった西山先生の研究姿勢は、先生が信仰を持った研究者であることから来ているのではないだろうか。本書の「あとがき」では、自らの研究姿勢と宗教観にふれて、次のように述べている。
  「私の専門は実証的な宗教社会学であるが、そもそも、その根底には、青年期からの「生き方としての
宗教」への熱い関心があった。いかなる研究者であろうとも、一人の丸ごとの人間に戻ったとき、その根底に価値絡みの世界観を何ももたないということは、まずありえない。それが研究者の根底にあればこそ、マックス・ウェーバーは「価値自由」ということをいったのではあるまいか。
ところで、「生き方としての宗教」に私(当時は高校生)の目をはじめて向けさせてくれた人は、無教会主義の提唱者の内村鑑三であった。ちなみに、欧米の教派や聖職制度に疑問を抱いて二つのJ(イエスと日本)をこよなく愛した内村の思想は、在家主義と社会指向性(日蓮と日本という二つの日を愛する日蓮仏教)を特徴とする「近現代日本の法華運動」(本書のタイトル)にも通ずるものがある。」
 内村鑑三と田中智学は、同じ万延二年(一八六一)生まれで、九ヶ月違いの同年である。西山先生が同年のこの二人に信仰的にも魅了されたのは、基督教と仏教という違いこそあれ、共に日本宗教界における近代化の開拓者であり、共に在家主義で「生き方としての宗教」を提唱したからだと思う。この二人の影響は、西山先生が平成十七年より日蓮仏教の再歴史化を期して主宰した「本化ネットワーク研究会」の実践において、一つとなる。「あとがき」には、「今から見れば、それは、門流や会派を超えたひとりの法華系の無教会主義者の誕生を意味していたのであり、それは「生き方としての宗教」への私の回帰でもあった。」とあり、「法華系無教会主義者」として二人の影響が統合されたことを述べられている。それはまた、西山先生にとって、実証的な宗教社会学者としての立場と、自らの宗教的立場との統合でもあった、と思う。つまり「日蓮主義の再歴史化」という課題は、そうした「生き方としての宗教」を実践化する宗教社会学のあり方を生み出したといえるのではないだろうか。
以上、「筆者の視点」に沿ってその研究姿勢にふれてきたが、本書の内容に戻っていえば、各章(十四の論文)は厳密で実証的な社会学者としての立場から書かれたものばかりである。簡単にふれておきたい。
「Ⅰ 日蓮主義と近代天皇制」には三つの論文が収められ、顕密変動でみた日蓮主義や天皇を救世主とした賢王信仰についてなど、日蓮主義の再歴史化を考えるためには必読の論考群となる。「Ⅱ法華系在家教団の成立と変容」では、本門仏立講の長松清風の周辺体験から内棲宗教の成立と展開が詳しく論じられている。「Ⅲ法華系在家教団の展開」では、法音寺教団について創立者から日蓮宗に内棲化したまでの経緯が述べられ、また戦後の「立正安国」運動として創価学会と立正佼成会のケースが取り上げられている。「Ⅳ正当化の危機と内棲教団の自立化」は四つの論文だが、大学院生時代に創価学会の「本門戒壇論」について書かれた論考をはじめとして、内棲宗教であった創価学会の自立過程が克明に辿られると共に、その過程における日蓮正宗僧侶の「正信覚醒運動」また在勤教師会(興風談所)の教学革新についても詳述し、また妙信講(顕正会)も取り上げて、日蓮正宗大石寺をめぐる戦後の全過程を伺える突出した論考群となっている。「Ⅴ日蓮仏教と法華系新宗教の特徴」では、日蓮仏教が法華系新宗教に与えた影響について、また法華系の現証利益について「自利利他連結転換装置」の新概念による新たな分析と研究が試みられている。
いずれの論考(各章)においても、宗教社会学的な分析の視座が定められての検証と論述が行われており、あらためて実証主義による学術研究のレベルの高さを感じさせられた。とはいえ、専門家でなくとも読みやすく、一般から研究者まで法華系新宗教教団の近現代の歴史を知るためには、必読の一冊である。