講座「裏から読む鎌倉時代—日蓮遺文紙背文書の世界—」第3講 講義報告

講座「裏から読む鎌倉時代—日蓮遺文紙背文書の世界—」第3講 講義報告
2021年12月21日 commons

菊地大樹先生の連続講座シリーズ「歴史から考える日本仏教⑧」「裏から読む鎌倉時代—日蓮遺文紙背文書の世界—」の第3講が、去る2021年12月21日(火)午後6時半より前回と同じくハイブリッド形式(対面&実況配信)で開催されました。第3講では、富木常忍が使えていた「千葉氏」に中心に取り上げて、北条氏に次ぐ大きな勢力を持つ有力御家人・豪族であった千葉氏の活動を見ながら、都市に住む領主に在り方や、遠隔地の経営の仕方、など学んでいきます。以下にレジュメの目次を挙げて、講義内容を簡単に補足しながら報告していきます。

 

第3講 千葉氏の活動と京・鎌倉・鎮西

はじめに

北条氏に次ぐ有力御家人としての千葉氏 ⇒日本66ヶ国の内、3ヶ国の守護であった。

都市に住む領主 ⇒鎌倉に常住して、千葉氏の下に奉行人(富木など)がいる。

遠隔地の経営 ⇒下総守護と共に、伊賀国守護と肥前守護をしていた。

 

  • 千葉氏と京

○請文とは ⇒テキスト史料「平亀若丸請文案『双紙要文』9/1022頁」を参照する。

幕府から来た命令書とそれに対する「返事の文書のことを請文」という。

⇒『沙汰未練書』の「沙汰」は裁判の事。金を採るため揺らすことが沙汰(真偽判断)。

⇒請文とは、御教書・奉書等に就き、左右(とこ=諾否)を申す状也。散状(さんじょう)とも云ふ也。

⇒請文は、綸旨・院宣・令旨・御教書・奉書など一般に上司の文書を受け取っての返答の文書の総称。

⇒また請文は、命令等の履行を請け合い、末尾に神仏への誓約=起請の詞を添える(起請文の始まり)。

○内裏造営 ⇒「里内裏」とは、平安時代以降に大内裏の造営が難しくなると、天皇は貴族の邸宅の提供など

を受けて部分的に改 造するなどした「里内裏」を御所とした。

○千葉氏の負担 ⇒建暦度造営では、幕府は千葉成胤に「宮御方侍」の担当を命じた。寛元元年(1243)

の修理(後嵯峨院政期)では、幕府は千葉成胤に「宮御方侍」の担当を命じた。

○千葉氏の状況 ⇒建長造営時の千葉氏「嫡家相伝」(惣領)は亀若丸(頼胤)。建暦造営時の惣領は祖父の

成胤の時代。その後の分割相続により、同じ負担に対してさえ、惣領の 命令に従う庶子はまれだった。

○千葉氏の閑院内裏造営と僧了行 ⇒テキスト史料「某書状『双紙要文』13/1027頁」を参照する。

⇒了行は、九条家と関係が深い九条堂の堂僧で、下総千葉荘千葉寺の僧でもあり、千葉氏の被官化した

両総平氏一族原氏の出身。入宋経験もある有力僧で、非常な強権ををって閑院内裏造営を差配した。

⇒九条道家は、有職の人として松殿基房が指図するものと皆思っていたと述べたが、実際には上流貴族

主導ではうまくいかず、九条道家は入宋経験があり建築や資金調達に巧みな了行に期待をかけていた。

⇒しかし建長3 年末道家が失脚し、了行は千葉支族矢作常氏らと共に鎌倉で謀反の咎により逮捕される。

 

  • 千葉氏と鎌倉

○「鎌倉中」御家人千葉氏 ⇒「鎌倉中」は鎌倉に常住の御家人。「左女牛(さめがい)八幡宮」の造営の

文書「六条八幡宮注文」に、千葉氏は一族 20 人・合計 292 貫の造営料を負担(執権北条氏につぐ勢力)。

○将軍への奉仕 ⇒鎌倉在住の御家人は大小さまざまだが将軍の周辺に近侍する有力者が多く、市内の警

備・都市の整備や御所における儀礼への奉仕などを中心に担った。鎌倉将軍御所の「垸飯」(おうばん=

御家人による将軍への饗応)への奉仕は、最も重要な 役の一つ。正月に恒例の垸飯が盛大に行われた。

⇒テキスト史料「長専奉書『秘書要文』12/1085頁を参照。「法橋長専」はこの紙背文書で注目された

「事務官僚」で、建長 5 年以前のある年頭、正月の垸飯について千葉氏に問注所菓子・酒肴一具の用意が

「御教書」により命じられた際に、富木氏に盛んに請文で「昨年よりも負担が増加 するかもしれない」

こと、昨年並みでも「ゆゆしき大事」であることを千葉氏に伝えるよう、伝言している

○鶴岡八幡宮若宮への奉仕 ⇒テキスト史料「左衛門尉某奉書『天台肝要文』38/1072頁」、「佐兵衛尉某奉

書『破禅宗』4/1073頁」、「佐兵衛尉某書状『破禅宗』3/1073頁」を参照する。

○在鎌倉御家人の奉仕と所領経営 ⇒鶴岡放生会は、京都の石清水八幡宮などと同じく、毎年 8 月 15 日を

式日とし、八幡宮のもっとも中心的な祭礼として執り行われた。熊谷直実が、鶴岡八幡宮流鏑馬におい

て「朋輩の論理」によって的立役を拒否し、所領を召し上げられたことはよく知られている

⇒テキスト史料「長専力奉書『天台肝要文』34/1071頁」を参照する。

⇒長専側では日々の催促に対して途方に暮れ、この件に専心しているが、(鎌倉の窮状につき)頼胤に

伝えてくれているのか、と不満げに述べる 「このような大事があるたびに「身一人の不肖」(長専一人

の責任)」とされては、歎き入るばかりであり、自分の所にやってくる責使(借上米未進責使・銭請責

使・金責使・千束郷請使数十人・安美入道)の様子を、千葉氏から正直の使いを派遣してもらい、ご覧

に入れたいものだ、と不満を述べている。

⇒7 月 6 日にはさらに「廻文」をもって催促が行われ、北条実時の奉行として随兵役を仰せ下され、急

いで返事をするよう御使も来ているので、頼胤に披露してほしい、と長専から富木常忍に伝えている。

「廻文」とは、催促の内容を書いた回覧文書で、随兵役に指名された御家人のが順次「奉」(うけたま

わる)など了解の意味を記し、署名を加える必要がある → いつまでも返事をしないと、特定の御家人

の手元に抑留されるか署名のないまま回覧されることになり、行事の遅滞や怠慢が一目瞭然となる。

 

※終了時間となり、ここまでを講義。なおレジュメでは続いて以下の項目がある

3、千葉氏と遠隔地所領―伊賀・肥前—

○伊賀国守護千葉氏

テキスト史料「伊賀国御家人中原能兼申状『双紙要文』1/1017頁」

○鎮西所領の経営と千葉氏の在京

○肥前小城郡岩蔵山院主の訴訟

テキスト史料「岩蔵山院主権律師寛覚陳状『破禅宗』5/1074頁

4、おわりに

 

講義は、会場とオンライン受講者からの質疑が続き、9時50分に終了しました。次回の第4講は、1月18日(火)午後6時よりの開催です。「日蓮をとりまく金融経済の世界」で、中世の金融事情をご講義頂きます。ぜひご聴講のほど宜しくお願いいたします。      (文責:担当スタッフ)