講座「『法華経』『法華文句』講義」第36回講座報告

講座「『法華経』『法華文句』講義」第36回講座報告
2021年5月31日 commons

2021年5月31日(月)、第36回となる「『法華経』『法華文句』講義」がオンライン実況講義で開催されました。前回より方便品に入っての講義ですが、今回はテキストの384頁4行目、四種類の二慧を説明する「初めの二慧は信を生ぜしめ~」からです。この広釈に入ってからは、旧解の説として法雲の『法華義記』や吉蔵の『法華玄論』を引用して、検討をしています。

湛然の「四種の二慧」についての考察について、吉蔵の『法華玄論』を参照していますが、実は湛然は『法華玄論』を読んでおらず、『法華義疏』のみを読んで論じたようで、後の日本の宝地房証真(生没不詳、鎌倉前期)はきちんと『法華玄論』を読んだうえで、湛然を批判している、との説明が先生からありました。

テキストに沿っての講義ですが、四種類の二慧について、①権・実の二慧は「信」を生じ、⓶空・有の二慧は「解」を生じ、③空有の内靜を実とし、外用を権とした二慧は「教化」せしめ、④常・無常を権実とする二慧は「果」となる、とあります。また、それぞれの二慧は「三転」もあって、①有を俗、空を真として、⓶空有を俗、非空非有を真に転じ、③空有を転じた不二を俗、非空非有の不二を転じた非二非不二を真とする段階をつくります。

また『中論』より引いて、「世俗諦」と「第一義諦」の二諦に「三門」ありとして、三転と同じ展開をたどって、空有の二不二を俗となし、非二非不二を真となして、二辺を遠離しながらも中道に執着しない境地を説きます。また『成実論』仮名相品にある「因成仮・相続仮・相待仮」の「三仮」を引いて、三仮の「空」から始めて、非空非有をへての段階を示しています。

そして、法華経の「正直に方便を捨つ」の文を出し、このようにして、始めに二慧による「生信・解・化・果」を述べたのも、法華経の悟入の心に関わってのことであり、「まさに知るべし、今の品は乃ち是れ如来の方便なれば一切の法を摂すること空の色を包むが如く、海の流れを納むるが若し」と述べて、諸師の一派をもって法華経の「大都」を解釈することを諫めています。

次に、一切法を権実でみた「一切法皆権、一切法皆実、一切法亦権亦実、一切法非権非実」の四句を挙げて、それぞれを吟味します。そして、別釈に入って「十法」と「八種の解釈」を挙げて説明していきます。その「八種の解釈」とは、①列名(十名を列する)、⓶生起、③解釈、④引証、⑤十に結んだ三種の権実、⑥三種の権実は、三種の二諦を照らす、⑦権実を諸経に約して論ず、⑧本迹に約して権実を判ず、です。

「十法」は、事理・理教・教行・縛脱・因果・体用・漸頓・開合・通別・悉檀の十で、詳しい説明はレジュメを引いて最後に載せておきます。この十法で、次に「生起」を説明します。「生起」とは、『維摩経』からの引用で、無住という理から一切の法が立つことからはじまります。そして、事である一切法と共に理事となり、理事ゆえに数あり、数ゆえに行あり、行ゆえに縛脱あり、脱ゆえに因果を生じ、果により体あり用あり、漸頓の化あり、開合あり、通別の益あり、両益を分別するゆえに四悉檀あり、として列名の十法が次第していきます。

次の「解釈」とは、この十法の生起次第をひとつひとつ説明していく段ですが、はじめに「理事」のうちの理を真如として「実」、事を動いてやまぬ心意識とみて「権」として、理事の連動による方便の力を称賛してから説明していきます。以下にレジュメから詳しい説明を挙げておきます。

1. 事理 -理は真如。真如はもともと清浄で、仏が存在してもしなくても常に変化しないので、理を実という。事は心・意・識などが清浄・不清浄の業を起こし、変化して固定しないので、事を権という。もし理がなければ事を立てられず、事がなければ理をあらわせない。事には理をあらわす働き【功】がある。このために心をこめて【殷勤】方便をほめたたえる。
2. 理教— 理教とは、前の理事をまとめて、みな理と名づける。たとえば真俗をともに諦と呼ぶ(真諦と俗諦)ようなもの。諸仏はこれを体得して、聖人となる。聖人は、いつわりがない【真】。自己の法を、下の衆生に与えようとして、理によって教を設ける。教は権である。教でなければ理をあらわすことがなく、理をあらわすことは 教 による。このために、 如来 は 方便 をほめたたえる。
3. 教行 -教行とは、教によって理を求めれば、正行を生ずる。行に前進する際の浅深の相違があるので、行を権と名づける。教に前進する際の深の相違があるので、行を権と名づける。教に前進する際の浅深の相違がないので、教を実と名づけるのである。教でなければ行を立てることがなく、行でなければ教を理解する【会】ことがない。教を理解することは行による。このために、如来は方便をほめたたえるめたえる。
4. 縛脱―縛脱(束縛と解脱)とは、行為【為行】は理に相違すれば、[束]縛である。[束]縛は偽り【虚妄】であるので、権と呼ぶ。行為【為行】は理にしたがえば、解[脱]を生ずる。解[脱]は理に深い次元で合致するので、実と呼ぶ。[束]縛でなければ[解]脱を求める手立てがない。[解]脱は[束]縛による。屍によって海を渡るようなものである。屍に岸まで渡る力があるので、方便をほめたたえる。
5. 因果-因果とは、因に前進の暫時の働きがあるので、権と名づける。果は終わりを獲得し【尅】、永久に証得することがあるので、実とする。果がなければ因に対比するものはない。因がなければ果は自然とはあらわれない。[空観・仮観の]二観を方便道とし、惑を断ち切って因を成就し、中道解脱の果に入ることができる。もし二観でなければ、どうして中道に合致するであろうか。果は因によって獲得するので、方便をほめたたえる。
6. 体用—体用とは、前の方便を因とし、正観によって[初]住に入ることを果とする。住・出を体用とする。体は実相であり、分別がない。用は一切法を確立し、段階【差降】は同じではない。大地は一つであるが、種々の芽を生ずるようなものである。大地でなければ[芽を]生ずることがなく、[芽を]生ずることでなければ[大地を]あらわすことがない。流れを尋ねて源を得、用を推し量って体を知る。用に体をあらわす働きがあるので、方便をほめたたえる。
7. 漸頓―漸頓とは、因を修行して果を証得し、体から用を起こす場合、ともに漸頓がある。今、用を起こすことを明らかにするのに、漸を権とし、頓を実とする。もし次第に【漸】引き導くのでなければ、頓に入る手立てがない。漸にしたがって実を得るので,方便をほめたたえる。
8. 開合—開合(展開と統合)とは、[円教の]頓から[蔵教・通教・別教の三教の]漸を展開し、[三教の]漸は自ら[三教に]統合されず、また[円教の]頓に統合されないので、権と名づける。[三教の]漸が[七方便の人=人・天・声聞・縁覚・蔵教の菩薩・別教の菩薩を]究極的なものにさせれば、かえって[円教の]頓に統合されるので、名づけので、名づけて実とする。展開によるので統合がある。展開に統合する力がある。展開にしたがって名づけられるので、方便をほめたたえる。
9. 通別―通・別の益(通益・別益)とは、通は半字で無常の利益であり、別は満字で常住の利益【常住之益】である。ところが、常住の利益【常益】の道が長ければ、喜んで喜んで退いてしまう。それ故、化城によって引き導き救い取り【接引】、安らかで穏やかな思いを生じ、そうして後に、化[城]を止めて、引き導いて宝所に到達させる。もし半[字]の利益がなければ、常住に合致することができない。半[字]に満[字]をあらわす働きがらわす働きがあるので、方便をほめたたえる。
10. 四悉檀—四悉檀とは、世界悉檀・為人悉檀・対治悉檀・第一義の四つつの悉檀で、はじめの三つの悉檀は世間なので、このため権(方便)とする。第一義[悉檀]は出世間である。このため真実とする。世間でなければ、出世間を得ない。三悉檀によって第一義[悉檀]を得る。このために、如来は方便をほめたたえる。

今回はこの十法の生起次第を述べたところまで(395頁3行目)で、講義を終えられました。次回の6月28日(月)の第37回目は、テキスト396頁から始まります。

次回も感染拡大状況を鑑み、オンライン実況で開催いたします。
受講の皆さまは、事前に送付するメールのURLをクリックしてご入室ください。
以上、よろしくお願いいたします。 (担当スタッフ)