講座「日蓮霊跡の再認識と顕彰の歴史」第2講オンライン講座

講座「日蓮霊跡の再認識と顕彰の歴史」第2講オンライン講座
2021年5月25日 commons

2021年5月25日(火)午後6時30分より、寺尾英智先生の2021年度前期講座【日蓮霊跡の再認識と顕彰の歴史】第二回講座が行われました。引き続き政府による緊急事態宣言が続いているため、前回の第一回講座と同じくZoomによる動画を生配信し、会員の方々が各自オンラインで受講しました。

第二回目となる今回は、第一回目のテーマ「鎌倉」からほど近く、日蓮聖人が頸を斬られんとした龍口法難の地に建立された、藤沢市片瀬龍口刑場跡にある「龍口寺」について。日蓮聖人が頸の座で敷いていたといわれる敷皮や、江ノ島方面から飛んできた光の玉が掛かった松など、龍口法難にまつわる資料の記述を読み解きながら、近世を中心として龍口寺が宗門の内外において、日蓮霊蹟としてどのように認識されていたのかをご説明いただきました。以下、内容について要点を絞りご紹介致します。

一、講義の視点

近世における日蓮霊跡について、今回は龍口法難の地である龍口寺と周辺の日蓮霊跡が、当時の人々にどのように認識されていたのかを資料をもとに確認する。

二、龍口寺の草創と展開

龍口寺がいつ創建されたのか。現時点では創建年代は不明、資料的にも乏しいが、鍋かむり日親の師僧中山法華経寺日英の記録(応永年間)が残っている。他に天正15年の文書に「龍口寺」の名が見える。中山門流の中世から江戸初期の文書によると、龍口寺は中山門流の寺院として存していたらしいことが分かるが、現在と同じ形で存していたかどうかは分からない。不受不施の問題で紆余曲折があった本山格の日蓮宗寺院(伊豆仏眼寺、佐渡根本寺など)がいくつかあるが、いずれも村を中心として本坊を輪番で守っていた。龍口寺でも龍口八ヶ寺と呼ばれる近接寺院が輪番により龍口寺を守っていたが、明治に入り輪番制は廃止、以降は一人の僧が龍口寺住職として就任している。

三、諸書に見る日蓮の遺跡・遺物

日蓮霊跡としての龍口寺に関する記述が見られる近世の資料について、資料により霊跡に関する記述に違いがある。寺尾先生は、13点の資料を刊行年次順に整理し、「日蓮首の座石」「日蓮土籠」「膳窟」「光の松」「敷皮堂」について、それぞれの資料の記述並びに挿絵の有無を一覧表にして提示。また一部の資料の記述をレジュメで、挿絵を共有画像でご紹介された。

四、霊跡の表出

寺尾先生は、事前にご用意いただいたレジュメに、龍口寺と日蓮霊跡に関する記述のある18点にのぼる資料をご用意くださった。この中で日蓮聖人が頸の座でお尻の下に敷いていたとされる敷皮について、敷皮の記述として最古の資料である日什の弟子日穆が永徳元年(1381)に著した『日什御奏聞記録』を挙げ、ここに龍口寺の記述が無いため、永徳当時はまだ龍口寺は無かったのではないか、と龍口寺の創建時期について指摘。この他にも「日蓮土籠」や「光の松」などについて記述した資料を紹介し、一つ一つ丁寧にご説明された。

五、まとめ

寺尾先生は、事前にご用意いただいたレジュメに龍口寺と日蓮霊跡に関する本や石碑の記述、また前回同様に寺尾先生が撮影された写真、各資料の挿絵など豊富な資料をご紹介、近世における龍口寺と日蓮霊跡について詳細にご説明くださいました。ご紹介いただいた写真の中には、今は立ち入ることが出来ない岩屋(御霊窟)の内部の写真など貴重な資料がありました。そのような貴重な資料をご開示いただき、誠にありがとうございました。講義後の質疑応答では3名の方から質問があり、寺尾先生は一人一人の質問に丁寧にご回答くださいました。

次回は寺尾先生第三回目、最終講座となります。6月22日(火曜)6時30分より、Zoomによるオンライン実況講座がございます。ぜひご聴講ください。(スタッフ)