講座「日本宗教史の名著を読む」第3回講座報告

講座「日本宗教史の名著を読む」第3回講座報告
2019年6月18日 commons

令和元年6月18日(火)午後6時30より、菊地先生の講座【歴史から考える日本仏教③】〈日本宗教史の名著を読む〉第3講「黒田俊雄「日本宗教史上の「神道」を読む」が行われました。始めに論文の著者、黒田俊雄の経歴についてご紹介されました。本論文は、当時としては珍しく資料を現代語訳しており、研究者のみならず一般の人々に向けて書かれた可能性があること。また、最初に英文で書かれていることから、欧米の学会における神道のイメージを変換する狙いがあったのではないか、との指摘をされました。

本論文についてはじめに、「神道」は日本の固有信仰であり、原始から現代まで連綿と続くものであること。その基底の一つにいわゆる「日本人の宗教の雑居性」が説かれるが、これは事実認識において不正確であり、神道に教義・教理が無いからこそ柔軟に様々な思想を吸収できる側面があることを指摘されました。

続けて六章立ての本論文に沿って読み解いていき、特に以下の点について解説をいただきました。1.『日本書紀』における「神道」。津田左右吉による「神道」の語の解釈の上に、『日本書紀』の用例を検討し、「日本の宗教は長期にわたって道教におおわれていた」とユニークな解釈を試みている。2.古代における神祇の位置。神祇信仰に基づく律令「神祇令」は、唐令の「祀令」を参照して作られた。8~11世紀は神祇信仰が仏教に包摂されてゆく時期であり、中国から持ち込まれた本地垂迹や本覚思想などが現れる。3.中世における「神道」の語義。「神道」の宗教的内容として「大乗仏教の土俗信仰を体系内に吸収しうる原理」との著述について菊地先生は、この「原理」は密教を強く意識していると思われるが、それ以上の説明はなくやや不明瞭である。また黒田の段階ではネガティブに評価された、中世「神道」における「煩瑣な教理や付会説」について、後世その内実が学問的に再検討され新たな研究分野を開いた。加えて「密教の本覚思想」とあるが、本覚思想は顕教の発展系列として理解すべきであり、黒田の段階ではしばしば「誤用」されていると指摘。4.「神道」の世俗的役割。中世神道は、人々を救済する仏の慈悲による巧妙な手段であり、世俗的秩序そのものを維持する規制力としての役割をもっていた。故に「神国」思想は非宗教的ではなく、日常に浸透した仏教体系を背景に、仏教の最先端に位置していた。5.“神道=民族的宗教”論の創出課程。中世後期、顕密体制が解体期に入ると、神本仏迹を主張する異端派が現れる。その後17世紀の儒家神道を経て、近代ナショナリズムの勃興にともない、神仏分離による「最高水準の宗教的哲理」からの切り離しが行われる。これにより、(菊地先生は「黒田らしい表現」と評された)“宗教でない”という強弁される宗教に転落した。6.おわりに。「神道」は「最も包括的で単一の、それなりの原理をもつ宗教的思考体系」とあり、あらゆるものを包括する雑多性を持つ単一とみる一方、洗練された単一と見る見解もある。「神道」とは歴史的に形成された独特の思考の論理である、というのが黒田の主張するところ。

最後に、本論文は細部だけでなく、大きな枠組みを示すことによって、これから研究を志す人が領解しやすいように説かれている。今後の課題として「対外交流史研究の進展」、現在も根強く残る「神道非宗教論」とは何か、を挙げて2時間の講座が終了しました。質疑応答では4人の方から質問があり、奥深い知見から的確なご解答をいただきました。

次回は「ルチア・ドルチェ「二元的原理の儀礼化―不動・愛染と力の秘像」を読む」、7月23日(火)開講予定です。当日のみの受講も大歓迎ですので、事前にご連絡頂ければ「事前資料の論文」をお送りします。どうぞご聴講ください。(スタッフ)